2025年6月号掲載
今年のサラリーマン川柳の最優秀賞が「AIの 使い方聞く AIに」に決まったことは、大阪で開催中の万博よりも、時代の変わり目を感じさせてくれる。
先日、協会で開催した医療DXフェアには、驚くぐらい多くの来場者があり、医療におけるAIの可能性を説いた短い講演会では、会場から人が溢れた。患者と医師の会話が、直後にSOAPの形式に要約された形で文字に表示された時は、会場がどよめいた。
同じくサラ川の「セルフレジ 母に店員 二人付く」というのも、マイナ保険証の導入時にはあったことだが、患者も慣れてくれば日に日に改善する。医療DXはまだ端緒にある。作業の効率化と情報の共有化で、無駄な作業、重複する医療行為が減れば、結果的に医師の働き方改革の一助にもなるはずだ。それを妨害するのは、同じ国が行う点数改定で、生活習慣病管理料の改悪に見られるように、点数改定で非効率を持ち込まれるのは腹立たしい。そもそもDXの費用こそ点数で手当てされるべきだ。
思えばワープロが出始めた頃、大学の卒論を書くのに手書きじゃないと認めない、という時代があった。その判断がいかに馬鹿らしいものか、今なら笑い話である。長生きの時代、誰しも医療機関と無縁では暮らせない。かかりつけの先生の所が何かしら目新しくなっていくのは魅力的なことだと思われる。
(木)
2025年5月号掲載
「いのち輝く未来社会のデザイン」―4月13日に開幕した大阪・関西万博のテーマだ。とかく科学技術の進歩や国際色が脚光を浴びがちだが、この万博が「いのち」を起点とした場にしたいという理念を掲げていることには、おおいに共感したい。人間のいのちに関わる問題、生態系への影響など、現代の私たちの世界は科学の目覚ましい発展に支えられている一方でまさにこうした「いのち」をめぐる様々な課題に向き合わねばならなくなっている。
国際博覧会条約によれば、博覧会とは「文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段」「人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩」だけでなく、「それらの部門における将来の展望」を示す「公衆の教育を主たる目的」とする催しである。「将来の展望」とは、単にさらなる進歩というだけではあるまい。
工事進捗の遅れ、メタンガスに関する問題、また開幕してみれば「並ばない万博のはずなのに」といったように、連日万博の話題には事欠かない。そして、それはどちらかと言うと批判的な視点が多いようにも感じられる。
しかし、こうした面だけでなく、私たちの将来を見据え、今回の万博のテーマに込められた理念を今一度考えてみたいものである。
(浩)
2025年4月号掲載
負の意味で壮大な政治的実験にいま立ち会っている。トランプの60日だ。就任後立て続けに70以上もの大統領令に署名した。政府効率化省トップ、イーロン・マスクに命じたのがUSAID(アメリカ合衆国国際開発庁)解体や教育省解体をはじめとする人員削減だ。民主主義陣営の領袖としてのプライドもかなぐり捨てた。
かつて自由と民主主義を謳歌し、アメリカンドリームの象徴と称えられた自由の女神像の返還をフランスの国会議員に求められる姿に往時の面影はない。敵性外国人法により移民排斥に踏み出し、自国第一で国際貢献からも手を引く。イスラエル・ネタニヤフ首相を戦争犯罪人と認定した国際刑事裁判所への制裁処置も行った。日本人初の所長となった赤根智子氏からの批判を受ける有様だ。
彼が目指すのは国家機関の最小化、政府支出の削減だ。トランプが他国の指導者と決定的に違うのは実業家の頭だということ。目先の利益を優先し、今だけ金だけ自分だけの精神で利他の心は微塵もない。富の最大化は格差の最大化につながる。法の支配から逸脱、階級対立が進み社会は混乱する。
世界が多極化している中でアメリカ一辺倒の日本でいいのか。法の支配を尊重し、核兵器廃絶運動に学び、平和主義を貫くことこそがこの国の生きる道だ。
(人)
2025年3月号掲載
今次改定では、多くの開業医がその理解への煩わしさと収入低下であえいでいるものと思われる。医療DXで紙の使用削減と言いながら患者に渡す書類は増え、仕事量も増えた。またベースアップ加算も煩雑な手続きと、最も仕事量が増える医療事務は対象外という不思議な制度である。診療報酬さえ上がれば職員の給与は上げられるのである。
ベースアップ加算申請があまりに少ないため、2月中の申請を増やすため18万円の補助金を餌に申請を促す知らせが医師会を通じてあった。わかりづらいエクセルの届け出様式を5月17日までに、と急がせた昨年とは違って様式も簡素化されているという。
すべての物価が上がる中、診療報酬、介護報酬は実質下げられている。医療DXに要する費用もかさんで開業を断念する医師も多くいると思われる。開業医も高齢化が進み、医療DXに対応できない方たちは閉院を選択する可能性も高く、そこかしこで閉院のうわさを聞く。医師用の掲示板である「m3.com」でもそういった書き込みが多く見られる。今後閉院が増えれば患者さんたちは病院へ向かい、働き方改革で限界に近い勤務医も疲弊してくるものと思われる。
保険医療の崩壊が近づく気配を感ずる今日この頃である。
(一)
2025年2月号掲載
今から約100年前、第一次世界大戦中の1918年に猛威を振るったインフルエンザのパンデミックはスペイン風邪と呼ばれ、死者数は全世界で5千万人ともいわれる。
スペイン風邪は米国の陸軍基地で発生し、米軍とともにヨーロッパに移動、さらに強毒株へと変異して全世界に拡大した。
スペインで始まった訳でもないのに何故スペイン風邪と呼ばれるのか。当時は戦時下にあり各国は感染症発生の情報を秘匿した。国による報道統制は今も昔も変わらないらしい。
初めて新聞に報道されたのは戦争中立国であったスペイン国王アルフォンソ13世がインフルエンザに感染したときで、その後全世界に広がったためスペイン風邪と呼ばれるようになった。
スペイン風邪の正体は長らく謎だったが、米国の病理学者タウベンバーガーはアラスカの永久凍土に埋葬されていたイヌイットの少女の肺組織からウイルスの分離に成功した。ゲノム解析の結果、2025年までにスペイン風邪の原因となったウイルスがH1N1亜型鳥インフルエンザウイルスだったことが突き止められた。
昨年暮れ第52週、長崎県のインフルエンザ定点当たり報告数は「82.27」で、現行の調査が開始された1999年以降で最多となった。幸い年明けにピークをむかえたものの歴史は繰り返す。油断はできない。
(孝)
2025年1月号掲載
選ばれたことが不適切にもほどがあるとされた流行語大賞「ふてほど」について、選考委員の先生方が世の中とずれているのではないかと注目された。選ばれる側より選ぶ側を見直すのが意外に難しい。
昨年は兵庫県知事選が画期的だった。「職員の自殺は知事のパワハラが原因」という反知事派の筋書きに、テレビ、新聞が1社も漏れることなく乗っかり、煽動された世論によって知事は辞職に追い込まれた。結局彼の施策を冷静に認めた兵庫県民により奇跡的に再選を果たしたが、落選していれば、事実が見直されることも無かったかと考えると空恐ろしい。
日本のオールドメディアは、他社に先んじようと見せかけながら、何よりも他社に後れを取ることを恐れている。記者クラブで徒党を組んでいるのはそのためではないか。大谷だ、斎藤知事だ、と金太郎飴みたいな報道に安穏としているから、スクープは文春や赤旗あたりから出て来るのが当たり前になってしまった。
事実は権威では曲がらないと言うが、それが格言とされているのは、事実は誰が言っているかでいくらでも曲がるという裏返しでもある。選挙権がある我々は、信じていることが真実か、常に問いただす必要があるだろう。戦後80年の今年、曲げられる前の情報に気を配って選挙に臨みたい。
(木)
2024年12月号掲載
能登半島地震ではじまった今年。9月には再び能登を豪雨が襲い、一方で記録的な暑い夏でもあった。「何十年に一度の…」とされる大雨が毎年どこかであるといった気候の変化、そして明らかに一昔前とは違う暑さに、地球の温暖化が進行していることを私たちは感じざるを得ない。今年もまた自然に翻弄されている人間の姿がそこにあった。
しかし、各国の利害が交錯する国際社会では互いの歩み寄りは難しく、この温暖化に対する効果的な方向性は未だ見出せていない。歩み寄りどころか深まる対立も存在し、今年はウクライナやガザでの紛争がまさに泥沼化していった。いったい、この世界はどこへ向かっていくのだろうか。
そんな今年、日本被団協がノーベル平和賞を受賞した。被爆者の方々の長年の活動が一定の評価を得られた証であり、核なき世界の実現への大きな一歩だろう。しかし、とはいえ地球温暖化への対策と同様に現実は多難だ。
先日長崎で「地球市民フェス2024」が開催された。核兵器の廃絶と平和な世界の実現のために、国籍など立場の違いを超えた「地球市民」といった視点を大切にしようという取り組みだ。この「地球市民」という発想を是非世界中の人びとと共有したいものである。
(浩)
2024年11月号掲載
袴田事件の控訴断念に続き、被団協がノーベル平和賞を受賞した。久々の快挙だ。袴田巌さんの無罪は姉あればこそ、永年の活動を支えたのは姉の一念だった。弟への信頼と無実の信念、身を捨てる覚悟は人々の胸を打つ。核廃絶を世界に訴え続けた山口仙二、谷口稜曄さん達には戦禍をくぐり抜けたが故の強さがあった。
人権や尊厳を蹂躙されたものの信念と覚悟の強さは政治家の比ではない。石破首相は就任早々、手のひら返し発言により不信を買った。彼らにとっては信念も覚悟も状況次第で変わるものなのだ。
田中角栄の後を継いだ三木首相も三角大福中の中では弱小派閥だった。だが大派閥に対しまだ骨があった。国民の信頼を取り戻すには、今回の総選挙敗北の原因である裏金事件や統一協会問題の抜本解明と真摯に向き合うことだったが所詮無理な注文だった。選挙をみそぎに使うとは不見識極まりない。禊ぎとは本来は神道的儀礼にすぎない。原因解明を徹底し、民主主義的かつ具体的な再生策を講じてこその再出発のはずだ。
日米地位協定の改定は喫緊の課題だ。首相の持論である核共有やアジア版NATO 、9条改憲を国民は求めていない。ノーベル平和賞受賞は国際世論の喚起に確実に貢献した。今こそ被爆国の首相として、核廃絶を通じた平和構築に舵を切るよう求めたい。
(人)
2024年10月号掲載
今年8月14日の長崎新聞に障害者5,000人解雇や退職の見出しで記事が出ていた。一般の人にはほとんど内容がわかりにくい記事と思われるが、これも社会保障費削減の一つである。今年度は医療、介護の改定とともに障害福祉の改定もあった。医療は公式には0.88%の増加とされているが、実際はマイナス改定であった。
記事に戻ると今次改定で収支の悪いA型事業所すなわち収入の減る事業所が閉鎖され、利用者、すなわち障害者が解雇されたというものだ。適正でない事業者のせいで働く人は悪くないのに突然解雇されたという事になる。障害者の働く場所はA型とB型がある。A型は、一般企業などで働くことが困難な障害者で、事業所と雇用契約を結んだ上で最低賃金が保証されて働くことができる。一方、B型は比較的高度の障害者で、雇用契約を結ばずに障害や体調にあわせて自分のペースで利用できるとされているが、障害の程度が高度のためA型で働けない人が利用する。
今回解雇された人たちは仕事を失うか、より収入の低いB型で働くしかなく、セーフティネットの縮小である。各市町は平成18年に当時の障害者自立支援法により介護保険に準じて1~6に区分して障害者を認定してきた。この人たちの仕事を奪う今次改定は、医療と同じ社会保障の削減。税金は高くて保証は低いとはあまりの行政のやり方である。
(一)
2024年9月号掲載
9月9日。待ちに待った判決が下った。2007年に始まった被爆体験者訴訟の一陣は長崎地裁、福岡高裁で敗訴。上告したが2017年に最高裁で敗訴が確定した。二陣は長崎地裁で10名が一部勝訴するも福岡高裁で逆転敗訴。上告するも2019年に最高裁で棄却された。
絶望からの再提訴。どうしても諦めきれない原告44名が2020年、長崎地裁に再び提訴した。被爆未指定地域で原爆の黒い雨や死の灰を浴び、汚染された水や食物により内部被曝を受けたのに、どうして被爆者と認められないのか。
明暗を分けたのは2021年。広島高裁は「黒い雨」裁判の原告全員の勝訴判決を下し、広島の「黒い雨」地域住民に被爆者健康手帳が交付されることになった。一方で長崎は対象外とされた。なぜ広島では手帳が交付されて、長崎では交付されないのか。歴代の厚労大臣は判を押したように「長崎では黒い雨が降ったという客観的記録がない」という説明を繰り返した。放射性降下物で被曝した事実は認めるが、黒い雨が降った記録がないので被爆者とは認められない。そんなバカな。黒い雨は広島では住民を救済し、長崎では住民を救済しない口実に使われた。
2007年の提訴から17年。長かった。もうこれで終わりにしてあげてもいいのではないか。速やかな政治決着を望む。
(考)
2024年8月号掲載
原爆が長崎に投下されてから79年目の夏である。協会は、原爆の日に岸田首相が来崎するのに合わせて黒い雨訴訟に関する署名運動を行った。短い運動期間に関わらず7月末には6千筆の署名を集め長崎市長に提出した。
この新聞が手元に届く頃には、すでに原爆の日は過ぎているだろう。岸田首相は長崎に来たであろうか。長崎に来て被爆者の方と会ったであろうか。会ってどれぐらいの時間一緒に話をしただろうか。被爆者手帳の交付を約束しただろうか。それとも、官僚が作った当たり障りのない文章を読み上げただけで済ませたのだろうか。
この新聞が届いたらまもなく終戦の日である。戦争をしていない、天気の心配はしてもミサイルが飛んでくる心配がないということが、ウクライナやガザ地区での出来事を見ていると、当たり前のようであり、奇跡的なことのようでもある。戦時中の多くの犠牲の上に成り立っている今の平和であることを考え、皮相な理屈や性急な議論だけで、平和のたがを緩めることがあってはならないと思う。
パリオリンピックの日本選手の活躍は素晴らしい。今回はあまり話題にならないが選手を支える競技団体が役員のための団体と化してはならない。話題にならない平和な頃に、静かに蝕まれていくのも世の常である。
(木)
2024年7月号掲載
空前の不祥事、裏金事件に端を発した「政治資金規正法改正案」は生煮えのまま自公の賛成で成立した。全くのザル法だ。自民党議員の百名近くが関係した事件のケジメがこの程度で済むとは到底思えない。
「国会が閉じれば政治とカネの問題は消える」と、ある与党議員は豪語した。彼らはこの問題の幕引きでリセットをはかり、来る総選挙に臨みたいという打算をあけすけに語る。なめられたものだ。
参院の論戦次第では法案成立が混沌としていたが、維新の衆院での賛成で流れが変わった。国民と野党は裏金問題の肝である企業・団体献金の禁止や、政策活動費の透明化や廃止、連座制の導入などを求めていたが、自民党には端から受け入れるつもりなどなかった。
岸田内閣の支持率は発足以来最低に沈む。打ち出す政策もとても国民本位とは呼べない代物だ。もはや死に体となった内閣は退場させ政権交代するしかない。国民の側も覚悟と気概が必要だ。スローガンは「選挙で変わる」 「選挙で変える」 「選挙を変える」で。ダメなものはダメ、行政に市民の声を、世襲や企業選挙とはさようならという意味を込めて。国民の支持を得た内閣が最初にやるべき仕事は「政治資金規正法」の改正なのは言うまでもない。決断するなら今でしょ。
(人)